「嫌われてもいいや」「軽蔑されてもいいや」「笑われてもいいや」「馬鹿にされてもいいや」「見下されてもいいや」って思えるようになるとどんどん楽しく、楽になってくる。自分がどう思われているか、っていうことを考える時間を、丹念に減らしていくことがどうやらだいじらしい。

Twitter (via tatsuyanis)

馬鹿にされても「油断してくれてありがたいなぁ」と思えるようになりました

(via golorih)

(via kyoukochang)

どんどん寒くなってうれしい。さむいのすき、さむいのすきというかなつがきらい。さむいのはいろいろとたのしいよ、むしもでないし、お布団がより好きになるし、長袖の服はかわいいし、ねこはあたたかいし、チョコレートが口の中でも溶けない。
チョコレートが一番おいしく食べられる季節、それが冬です。

(via xomorickyxo)

虫がいなくて幸せな時期。それが冬です。

(via 9861mzh)

(via kamabo-ko)

264 :風と木の名無しさん:2013/05/26(日) 21:25:45.90 ID:ErWE+zYyP
今日カフェにいたらあちらのお客様からですってケーキがきた
えっなにこれこんなの初めてっていうか今時こんなことする人がというかなぜ私ーーーーと色んな考えが駆け巡った末
あちらのお客様の方を向いたら見たこともないようなドヤ顔で手を振る父がいた

私「………父です」
店員「素敵なお父様ですねwww」

顔から火が出るかと思いました

 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

asahi.com :教育 - いじめられている君へ

さかなくんは、ほんとは天使なのかもしれない。

(via 4kshike)

(via 12g21m)

二年前にインドを旅行した時

ネパールまでの長距離バスの中で私は気分が悪くなり、 めまいと吐き気を覚えたために、

途中で降りて小さな村に泊まった。


その時、バススタンドで四歳くらいの少女に出会った。


彼女は小さいのに物乞いをして生活をしているようだったが、

気分が悪くうなだれている私の前に座って、

自分が物乞いをして手に入れたと思われる小さなしおれたみかんを一つ、

私の手を引っぱってにぎらせ、


「カーオー、カーオー(食べろ、食べろ)」と言う。


私はのどが渇いていたので小さな声で、

「シュックリア(ありがとう)」と言ってみかんをもらった。


すると少女はダーッと道の向こうに走って行った。


見ると少女は金持そうなおばさんに物乞いをしている。


何回も何回も手を差しのべるが、おばさんはガミガミと何か言って少女を追いはらった。


今度少女は、すぐ近くで見ていた男の人に手を差しのべた。


男の人は胸のポケットから硬貨を取りだし、少女の手ににぎらせた。


私は「ああ、もらえてよかったね」と心の中で思った。


お金を手にした少女は、またダーッと走った。


私は少女のくれたみかんで気分が少し楽になっていた。

なにやら少女は御茶屋で話しこんでいる。

ずーっと見ているとお茶を負けてくれと頼んでいるらしいのだが、

突然ニコッとこっちを見るとお茶屋から二杯のチャイを手にして私の所へ走って来た。


「ピーオ(飲みな)」

と小さな汚れた手でお茶のコップを熱そうにつかんで差し出した。


私はこの時ほどうれしく、

涙があふれそうになったことはなかった。


彼女の目は貧しいのにキラキラと光って力強く見えた。


どこの国の人かも知らず、

今日食べるものもない自分のわずかな食べ物を、

経済大国から来た大名旅行者に分けてくれた彼女のやさしさを、

今も忘れることはできない。